文献

かつお節のルーツを文献から辿ってみますと、鰹節に関する文献は数多くあるなかで、『古事記』に「型魚」という言葉で登場します。『大宝律令』や『養老律令』、『延喜式』には「堅魚」、「煮堅魚」、「堅魚煎汁(かたうおいろり)」などと記され、カツオの加工品が当時の賦役品になっていた。
トカラ列島には、「素干し」品であるが、「かつほぶし」と書かれた最古の記録が残されている。平安朝以前には、伊豆・とさ・紀伊など10カ国から朝廷に貢納されている。神社などの棟木についた飾りを「堅魚木」とも呼んでいるところからも、そもそも鰹が昔から重宝され、朝廷への献上品であったり、神へのお供え物として、海産物としは高い評価があった。

発祥地

モルジブ共和国といわれている。世界の中で食習慣として一般に鰹節が認知されているのは、モルジブと日本だけである。生産地としては、中国・フィリピン・インドネシア・台湾などがあるが、日本向けの輸出品である。アジアには鰹節だけに限らず、干物や燻製にする地域が多い。
地域特性を考えると、「防虫」の為に発達したと考えられる。モルジブは海に囲まれており、食生活における資源を海産物に頼らざるをえないわけではあるが、鰹が漁獲の70%程度を占めるほど獲れて、「モルジブフィッシュ」と言われるほど、国魚として認知されている。政治的背景には、イスラム教国となった為に、豚を食べず、地理的背景ではさんご礁で農業も発達しなかった。

日本での発展

古代においては、上記の文献に記されているが、日本で主に発展したのは、江戸中期である。ここでは、若林良和著の「カツオと産業の文化」から非常に有用な部分を抜粋する。

かつお加工技術の開発

江戸期になると、かつお節製造方法の記述が散見できる。『本朝食鑑』(1697(元禄10)年)や『和漢三才図会』(1712(正徳3)年では、カツオを煮熟して曝乾(ばくかん)したという記述が見られる。そして、『日本山海名産図会』(1799(寛政11)年)では、藁火を用いて燻したという具体的な記述がある。そして、カツオの腸などの内臓を塩漬けした酒盗(塩辛)の記載もある。さて、燻煙によるカツオの加工の方法(燻乾法)が開発されたのは江戸中期である。それまでは、煮たカツオを天日と火熱で乾かす方法(焙乾法)がとられていた。燻煙加工は紀州の印南浦(現在の和歌山県印南町)出身の甚太郎という漁民が1674(延宝2)年に土佐の宇佐浦(現在の高知県土佐市)で初めて行ったと伝えられている。彼はカツオ群を追い求めて足宇摺沖へ出漁した時に時化で遭難し漂着した宇佐浦に住み着いて、播磨屋佐之助の支援を元に節製法を伝授したという 土佐藩では、これを藩の秘法としました。宇佐浦地方から、土佐清水へは甚太郎の子供「二代目甚太郎」が伝えたといわれています。 その後、「土佐の与一」が全国へ広げました。

兵糧食としての歴史

かつお節は、武士の「兵糧食」として、欠かせないものでした。「訓蒙工業妙」「武教全書詳解」「武事精談」の兵法書や、「三河物語」などには、兵糧食としての記述があるほか、「かつおぶし」が「勝男武士」という名前で、縁起のよさもあります。日清・日露戦争でも使われました。

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